1956年 | 1月30日、長野県生まれ。 |
1977年 | 富士フレッシュマンレースでレースデビュー。 |
1985年 | インターTECでクラス優勝。総合6位。 |
1989年 | グループAに参戦しつつ、F3へも参加。 |
1990年 | グループA、F3に加えフォーミュラ・ミラージュにもエントリー、3勝を挙げ初代チャンピオンとなる。 |
1991年 | フォードシエラからスカイラインGT-Rに乗り換えグループAに参戦しランキング5位。 |
1992年 | グループAのスカイラインGT-Rで高橋国光とコンビを組み参戦。 |
1993年 | グループAで第1戦「美祢」でポールポジションを獲得。 N1耐久ラウンドシリーズへプレリュードで飯田章選手と参戦しランキング3位。 |
1994年 | 全日本ツーリングカー選手権へホンダシビックで参戦し第3戦でデビュー、第4戦で4位を獲得。 全日本GT選手権へポルシェターボで参戦し第4戦「菅生」で優勝。 ル・マン24時間レースへホンダNSXで参戦、初挑戦完走18位。 |
1995年 | ホンダNSXでル・マン24時間レースGT-2クラス優勝。 十勝24時間レース総合優勝。 鈴鹿1000Kmでは鈴鹿GTクラス優勝。 全日本GT選手権へポルシェで参戦し第2戦「富士」で3位。 全日本ツーリングカー選手権へホンダシビックで参戦。 |
1996年 | ル・マン24時間レースではGT-2クラス3位と3年連続完走。 全日本GT選手権へホンダNSXでフル参戦。 第1回NASCARへ挑戦。 |
1997年 | チーム・ラーク・マクラーレンでル・マン24時間、鈴鹿1000Kmへ参戦。 ル・マンでは予選総合10位を獲得。 全日本GT選手権へはチーム・タイサンより第3戦から参戦。 全日本ツーリングカー選手権は、最終戦インターテックへ参戦。 第2回鈴鹿NASCARへ参戦。 |
1998年 | トヨタ・ワークスでル・マン24時間へ参戦し総合9位を獲得。 全日本GT選手権へトヨタ・チーム・サードより参戦し、第1戦「鈴鹿」で3位入賞。 全日本ツーリングカー選手権へ土屋エンジニアリングより参戦し、第1戦「富士」で3位入賞。 NASCAR WINSTON WEST第9戦へ参戦し、24位。 |
1999年 | トヨタ・ワークスでル・マン24時間へ参戦し総合2位を獲得。 全日本GT選手権へトヨタ・チーム・サードより参戦し、第1戦「鈴鹿」で3位入賞。 スーパー耐久シリーズへ自チームで参戦しシリーズランキング2位。 第4回NASCAR THUNDER SPECIALへ参戦。 |
2000年 | テレビ朝日チームよりパノスLMP-1でル・マン24時間へ参戦し総合8位を獲得。 全日本GT選手権へARTAよりホンダNSXで参戦し、第4戦「富士」で優勝。 スーパー耐久シリーズへ自チームで参戦し第1戦、第2戦、第4戦で優勝。 |
2001年 | 全日本GT選手権へARTAよりホンダNSXで参戦し、第6戦「鈴鹿」で優勝しランキング2位。 D1グランプリを立ち上げる |
2002年 | 全日本GT選手権へARTAよりホンダNSXで参戦し、ランキング10位 |
2003年 | 全日本GT選手権へARTAよりホンダNSXで参戦し、最終戦鈴鹿では今までのレース人生の全てを魅せつける走りをし、レーシングドライバーを勇退。 走り屋 土屋圭市に戻る。 |
2004年 | 昨年の勇退後、レーススピリットを評価され、GT500及びGT300の両監督を務めることになる。 結果は、GT500 NSX勢完敗の年になるが、GT300ガライヤで堂々ランキング2位に食い込む手腕を披露した。 一方、D1GPでは、USAでエキジビションを行なって来た結果、シリーズ戦の中に入り第1戦アーウィンデイルで開催され、世界への第一歩へ希望を繋げた。 |
2005年 | GT500 NSXは、チームホンダレーシングとして、昨年の屈辱を晴らすべく僅差でランキング2位と悔し涙を流す。 GT300 ガライヤでは、監督を務め、ランキング3位と甘んじるものの、緻密な戦略やアドバイスでドライバーを大きく育てる。 D1GPでは、更なる海外進出を図り、モータースポーツの聖地でもある、イギリスのシルバーストーンサーキットでエキジビションを成功させ、BBC等全世界に向けてD1を配信する快挙を成し遂げる。 その後、7ヵ国からD1開催へのオファーを受ける事となる。 |
2006年 | SUPER GTでの活動は、ARTAエグゼクティブアドバイザーを勤めることになり、スポンサー様やファンのためにSUPER GT全体を盛り上げるべく、サーキットへ!! いよいよ、海外進出のD1GPでは、マレーシアや上海、ラスベガスなどでエキジビションを開催。世界各国でシリーズ戦を立ち上げる。 |
2007年 | SUPER GTでの活動は、昨年の雪辱を晴らすべくGT500クラスでチャンピオンを獲得する。一方D1GPでは国内で確固たる地位を確立すべく活動を強化しつつラスベガスでエキシビションマッチを開催し大成功を収める。 |
2008年 | SUPER GTでは、継続してARTAエグゼクティブアドバーザーを務めGT500ルーキードライバーの育成にあたる。D1GPではチューニングカーの祭典でもある東京オートサロン会場でD1GPのエキシビションを披露しD1を知らない車好きをも魅了した。 |
2009年 | SUPER GTではARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、様々なレギュレーションの変化に対応しつつ、お客様に興奮と感動を与えられるよう組織全体を盛り上げる努力をしている。D1GPでも審査基準の見直しやシステム構築により、よりお客様が楽しめるイベントを運営するべく人生をかけて取り組んでいる。 |
2010年 | SUPER GTではARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、若手ドライバーの育成にあたる。そして、S-GTのFANの方々に興奮と感動を与えられるようレース全体を盛り上げる努力をしている。D1GPでは、よりお客様に近いイベントが出来るように取り組んでいる。 |
2011年 | SUPER GTでは#8 #43 ARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、若手のドライバーにレースの戦術やメンタル的な部分まで指導にあたる。2010年にD1GPを去り、自分の目指すドリフトイベントを作るべく、稲田大二郎と共にドリフトマッスルを立ち上げる。 |
2012年 | SUPER GTでは#8 #43 ARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、若手からベテランドライバーまでレースの戦術やメンタル的な部分の指導にあたる。稲田大二郎と共に立ち上げた会社でドリフトマッスルをシリーズ開催する。 |
2013年 | SUPER GTでは#8 #55 ARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、勝つ為のチーム作りにあたる。ドリフトマッスルを本年度よりドリフトがJAF公認競技とし、今後のドリフト競技の発展への大きなかけはしになる。 |
2014年 | SUPER GTでは#8 #55 ARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、勝利への執念を念頭に指揮をとる。稲田大二郎と共に立ち上げた会社でドリフトマッスルをシリーズ開催する。海外でのドリフトマッスル開催の準備を始める。 |
2015年 | SUPER GTでは#8 #55 ARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、勝つためには何をするべきか?個人の潜在能力を引き出す作業を担う。稲田大二郎と共に立ち上げた会社でドリフトマッスルをシリーズ開催する。海外のドリフト大会にも率先して参加し世界基準のルールを広める事に尽力する。 |
2016年 | SUPER GTでは#8 #55 ARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、過酷な状況下にあるドライバーが結果を求められた時の戦い方、そしてレース前からのメンタル部分の育成にあたる。稲田大二郎と共に立ち上げた会社でドリフトマッスルをシリーズ開催する。海外のドリフト大会を日本で開催し、世界に通じる日本人ドリフトドライバーの育成にあたる。 |
2017年 | SUPER GTではARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、チーム全体の動きや心理まで気を配り、適時対応にあたる。2011年から続いているドリフトマッスルのシリーズ開催し、同年も審判員長を務める。海外のドリフト大会を日本に招き開催し、日本のドリフトを海外の選手にも感じてもらえる機会を提供する。ホンダアクセスモデューロ開発アドバイザーとして同年よりModulo X についての訴求活動に力を注ぐ。 |
2018年 | SUPER GTに於いてはARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、新メンバーのケア、勝つためのチームづくりに一翼を担う。2011年から続けていたドリフトマッスルの名称を改め”ドリフトキングダム”として新しいシリーズ開催する。兼ねてより携わっているModulo X 開発が一段と進み、走行性能とデザインに磨きをかけ、量産車の販売へと導く。 |
2019年 | SUPER GTでは昨年に続きARTAエグゼクティブアドバイザーを務める。ドリフト競技でも昨年同様、ドリフトキングダムの審査員長を務める。そして、ホンダ純正アクセサリーメーカーのホンダアクセスの主軸であるModulo X 開発に携わり、これまでの経験で培った技術やノウハウをフィードバックさせ、Modulo X 仕様の車種の幅を増やす。同時に、販売店(Honda Cars)への認知や販売促進の為、全国各地の販売店でトークショーや走行会を行っている。 |
2020年 | SUPER GTでは昨年S-GT300クラスでシリーズチャンピオン獲得、本年度もARTAエグゼクティブアドバイザーを務める。 ホンダアクセス Modulo X 開発アドバイザーを勤め、Modulo X 訴求のため、販売店(Honda Cars)でトークショー、サイン会や走行会を行う。自身がホストを務める、YouTubeチャンネルのドリフトキングテレビジョンを開設。 |
2021年 | SUPER GTではARTAエグゼクティブアドバイザーを務める。 ホンダアクセス Modulo X 開発アドバイザーを勤め、Modulo X 訴求のため、走行性能、実効空力等の実践を伴った開発を続ける。 |
2022年 | SUPER GTに於いてはARTAエグゼクティブアドバイザーを務め、ドライバー、メカニックに関わらず若手の指導にあたる。AUTOBACSでスタートしたARTAメカニクスを支援。Modulo X の新車両開発の発表に向けて取り組む。 |